*死に関わる記事なので、苦手な方はご遠慮下さい。
モルモットを飼っていました。
オスで名前は「はなじろー」といいます。
四か月ほどの闘病後、5月10日夜に永眠しました。
モルモットの寿命は5年から8年です。家に来て3年半、はやいお別れとなりました。
モルモットを買うのは二匹目。
先代は、夫の兄が入院のため引き継いだメスの「ガンコ」でした。
この子は乳がんの手術を乗り越えましたが、血液の病気であっけなく死んでしまいました。
この経験で、小動物という、寿命の短いペットを飼うことについて覚悟ができていたので、今はあまり落ち込みすぎていません。ただ、寂しいです。
はなじろーもガンでした。
大きかったのは、右の顔の腫瘍。取り除けない部分だったので、まず噛み合わせが出来なくなりました。自分で餌を食べられなくなるのは、動物にとって致命的です。
肺にも乳腺にも腫瘍があるといわれたのが一月だったので、そこから「すぐに死んでしまうかもしれない」という覚悟はしていました。
野菜にビタミンや薬を混ぜ、ペースト状にしてシリンジで与える生活が始まりました。
主食の牧草やペレットを食べる量は、激減しました。ペレットは、餌箱に顔を突っ込んで、どうにか口に入れて時間をかけて奥歯で噛んでいたようです。
しかし、牧草は無理でした。齧歯類の歯が伸び続けるのは、牧草などの硬いものを食べるため。噛めなくなり食べられなくなれば、歯は伸び放題になります。
動物病院に行って何度か歯を切ってもらいましたが 、痛みへの抗議活動なのか、シリンジが近付くのが怖いのか、切ったあとしばらくはモノを食べなくなってしまいました。ですから最近は、伸びっぱなしの歯の間から、ペーストを流しこんでいました。
今年は桜を見せられないかな、と思っていましたが、そんな状態ではなじろーは春まで生きました。
はなじろーはどんどん痩せていきます。
逆に顔の右側の腫瘍は大きくなり、圧迫された結果、右目は見えなくなりました。
乾いた右目が可哀想で、眼帯を作ろうかと夫と話したりしました。首が絞まりそうなのでやめました。
5月10日。
私は仕事でヘトヘトの状態でゴスペルの練習に行き、22時頃帰宅しました。
夫も疲れていて、早めに寝室に行ってしまいました。
私もさっさと寝ようと思いましたが、ネット中毒で、ちょっとした調べものを思い出し、リビングに留まってパソコンに向かいました。
ガサガサと、変な音がしてきました。
苦しそうな呼吸のはなじろーが、巣箱から出てきて、ケージの角にいました。はじめは夫の座椅子がある方を向いていました。
元気なときはケージを出てきて、座椅子に座る夫になついていました。
私が近づくと、暴れながらケージの中を移動して来てくれました。手足がうまく動かないので、体をひねって移動しているみたいでした。
餌をやる時と同じ、丸い左目で私を見ています。
私は「ああ、もう最期なんだな」と思いつつ、見つめたまま固まっていました。
少しして、抱き上げようかと手を出して頭を撫でると、はなじろーは急いで巣箱に帰ろうとしました。
帰ろうとして巣箱に頭だけ突っ込み、おしりをこっちに向けたまま、苦しい呼吸か痙攣で体を数回震わせ、はなじろーは動かなくなりました。
寝室で寝ている夫を起こしました。
夫が抱えたはなじろーは、もう暴れませんでした。
「まずは洗ってやらないとな」
ちゃんと食べられないはなじろーは、排泄もうまく出来ておらず、いつもおしりが汚れていて、よく洗ってあげていたのでした。
用意していた棺桶用の
ダンボールに、いつものふかふかタオルを敷き、はなじろーを置きました。
虫の知らせなのでしょうか。私はリビングに留まり、はなじろーを見送ることができました。
はなじろーが挨拶で巣箱から出てきたのなら、それに応えることができました。
哺乳類の魂が抜けていく瞬間は見たことがなく、死について今もいろいろと考えています。整理は全くついていませんが。
病気で不自由していた割には、はなじろーは頑張って5月まで生き延びたので、今は「お疲れ様、よく頑張ったね」と言いたいです。
まだ餌の準備をしそうになったり、風のせいでケージの方から音がすると、つい見てしまいます。そんなときはとても寂しいです。
一緒に過ごせて楽しかったです。
ありがとう、はなじろー。