「この世界の片隅に」を観て
あけましておめでとうございます。
映画の主題からずれた感想です。
「第二次世界大戦は激化し、本土も空襲され、原爆が落とされて終戦を迎えました。」という内容を、ネタバレだと怒る人はいないと思います。
その時代の環境下ですずさんはどうしたのか、はネタバレなので、まっさらな状態でこれから観たい方は、この先は読まないで下さい。
戦争を引き起こすものについては常々考えていて、凸凹した精神状態の中、上がっている時は、戦争の無い社会作りの応援とかしています。
でも、今回は「主題からずれる」宣言通り、戦争じゃないことについて書きます。
終戦を告げられて、爆発したすずさんの「怒り」。
「こんな世の中でも普通にしているのがいいね」と言われていたすずさんが激しく怒ります。
普通じゃない日常を、無理矢理普通として生きてきて、それがやっぱり普通じゃないと思い知らされた時。
毒親に育てられた自分の、洗脳から解けた時の怒りを思い出しました。
「もっと上、もっと上」と責め立てられ、「貴女のためなのよ」と押し付けられ、ツラい生活。でもツラいままにしたくないから、その中でも楽しみを見つけて生きようとしました。
でも、その楽しみも理不尽に奪われ、残ったのは健常者じゃない体。
カウンセリングが進み、母からの洗脳状態だったと気が付いた時に、私の中で燃え盛ったのは怒りの炎でした。
自分にとって普通と思い込もうとしたものが、普通じゃなかったことへの怒り。
「だからすずさんは、あそこで怒るんだ」と納得しました。
生きづらい人には毎日が戦争です。なにが攻めてくるのかわからないのが厄介な、個人の戦いです。
「死ぬわけじゃあるまいし大げさな」と思える人が羨ましい。ギリギリで生きていて、死なないためのギリギリの努力をしないと生きていけない人たちもいるのです。
空想の中で何度自分を殺したか。未遂もどきは2回で済みましたが。心の病でも人は死にます。
「あぁ、今日も人身事故か」という電車の遅延が日常の世の中じゃなくなりますように。
苦しい思いをしないと社会人じゃない、楽しく仕事しちゃダメだ、という普通が続きませんように。
すずさんのように、戦後も逞しく生きる力を持ちたいな、と思います。
幸せを、普通を、他人から押し付けられている人が減りますように。
親だって他人。幸せは、自分で選ぶんで感じるものです。